言葉が考えをつくって、考えが現実を作る。
幸せならクラクションを鳴らしてくださいっていう看板の話が好き。
本当にならすと幸せな気分になる。そういうのいいな。
うちの玄関にもなんか置こうかな。そしたら出て行く時と帰ってきた時に幸せならならそう。
朝家族と別れる時、頑張ってねよりかけたい言葉が出てきた。
楽しい一日を。
幸せに。
自分の思う通りに。
言葉にするとこう思ってるんだって、認識する。そしてその認識に合わせて現実が認識される。
痛いって言えば痛い気がするし、あーイライラするって愚痴を言うと本当にイライラしてくる。確かになーと思った。
そして、この話を読んでる時に相手にふったら相手の愚痴が止まらなくなっていた。聞いていて、やめたいなと思って話を変えてもまた話してた。アクセル踏むと言いきらないと止まらない。うーん、私も相手にこんな思いをさせていたのかな。
愚痴を言いたくなったら、その状況を変える力がある人に、事実と要求を伝えるようにする。非難されると人は攻撃したくなるから余計に拗れてしまう。
不満はある。それをただ不満として言うか、改善するために動くか。
夫と話していると批判や愚痴ぽくなりがちだ。私は結構嫌味だし、ぐちっちゃう。夫は批判よくするし、愚痴ぽい。
やめよう。まずは身近なところから変えていきたい。
多くの時間を過ごす家庭でこんな感じだとつまらない。
不平不満を聞いたら、聞くだけで口を挟まない。なんか言っちゃったら私も不平不満を言っていることになる。
ロバートケネディ
今あるものを見て、なぜそうなのかと問う人たちがいる。私はここにないものを夢見て、なぜそれがないのだろうと問う。
2021/6/26-6/30