俵屋宗達といえば、風神雷神図屏風を描いた人で、琳派だという知識しかなかったなで、読んでみた。
江戸初期に活躍した画家で、画家としての最高峰である法橋(ほっきょう)の地位を得ているらしい。上方の後水尾天皇に贔屓されていたのは意外であった。というのも、江戸の人だと思っていたからである。
絵の特徴は3つ。
①平面的で装飾的
②たっぷりした水墨
③躍動的
①についてはよくわからないけれど、狩野派のように写実的ではなく、装飾的な絵というのは理解できる。②については、たらしこみの手法だ。墨と水を利用して、濃淡をつけている。③についてはアニメ的と言った方がすっきりとする。たしかに動き出しそうだ。絵巻物は右から左に見るが、鶴下絵和絵巻はほんとに鳥が飛んでいるように見える。
あとはびっくりしたことを2つ。
尾形光琳が本阿弥光悦親戚だったということ。光琳が宗達の絵を見る機会があったのも、そこからと思えば、納得がいく。
次に、江戸後期の酒井抱一が光琳が好きすぎて、風神雷神図屏風の裏に夏秋草図屏風の絵を描いたということ。金の絵の裏に銀、風神の裏には暴風に耐える秋草、雷神の裏には雨に打たれたすすき。姫路城主の子供はやることが大胆だ。好きなものを受け継ぎ、自分も何かを残したいと思う事はわかるが、今日なものに手を出すとは。
最後に本の中に西田幾太郎の引用があった。
結論は何にもならん。どの途をとってどう結論するかが問題だからね。
218/9/29-2019/10/17